節分と「年」

おはようございます、

 

トウイーです。

 

今日は昔話を話します。

 

2/3は日本の節分ですね、太陽暦では立春に最も近い新月を元日とし、新年の始まりであることから、一般的に立春に節分が行われるようになりました。

元々の発祥は中国だが、大陸文化が広く取り入れられた平安時代、大晦日に宮中行事として追儺が行われるようになったと言われている。これは疫鬼などを追い払うもので、大晦日に陰陽師がきて厄や災難を祓い清める儀式。新年を迎えるにあたって、邪気を祓い清め、一年間の無病息災祈る行事として追儺(ついな)という行事が行われてきました。

節分当日、鬼は深夜(丑寅の刻)にやってくるといわれているので、豆まきは夜に行うのがベスト。午後8時~10時くらいの間が適しています。

まず、玄関、窓、戸口などを開け放ち、奥の部屋から順番に、外に鬼を追い出すように「鬼は外!」と声をかけながら豆をまく。まき終わったら、鬼を締め出し、福を逃さないようにするために、すぐに戸締りすること。今度は「福は内!」と部屋の中に向かって、豆をまく。と言う手順ですね。

 

台湾と中国などの中華民族も節分みたいなことも行っています、すなわち、旧暦新年の年明け(春節)ですね。日本ではお正月は全国一律に太陽暦で祝いますが、東アジアや東南アジアで太陽暦でお正月を祝う国は少数派です。中国大陸のほか香港、台湾、韓国、モンゴル、ベトナム、シンガポール、マレーシアなど、お正月と言えば皆旧暦のお正月だそうです。

新年の「年」は、実際はお化けですよ、日本の鬼と同様ですね、体は牛、頭は角を生やした獅子で途方も無い怪力を持ち、旧暦の大晦日に人里へ出没して人間を食べると言われており、特に子供の肉が大好物。

民間伝説は、

’’昔々中国には「年」という猛獣がいたそうな。「年」は正月が近づくと決まって村里に下りてくる。そして村人を襲い喰らう。村人は正月が来ると山に逃げた。

ある年の暮れ、村に一人の老いた物乞いがやってきた。村人はみな避難するのに必死で誰も相手をしない。一人の婆様が声をかけた。

もうじき「年」がやってくるだよ。あんたも早くお逃げ。さもないと喰われてしまう。

すると物乞いはこう言った。

わしがその「年」を退治してやろう。その代わり婆様、あんたの家に泊めておくれ。

婆様は物乞いに泊まり込んでもよいと告げ、みなと一緒にすたこら山に逃げていった。

その夜「年」がやってきた。「年」は村に入るとまず婆様の家に襲いかかった。すると家の中からは何かがパチパチとはぜる音、そして真っ赤な炎がチロチロと舌を出している。その前ではかの物乞いの老人が赤い着物をまといカラカラと大笑いしている。

「年」はそれを見てすくみあがった。そして転げるように一目散に逃げていった。

なんと獰猛(どうもう)な「年」はパチパチとはぜる音と赤い色を何より恐れるのだった。

こうして物乞いの老人によって救われた村は平和を取り戻し、村人は正月が来ると爆竹を鳴らし、赤い色の窓飾りや提灯(ちょうちん)で家を飾るようになった。めでたし、めでたし。’’

という伝説がありますね。

ちなみに、お年玉は昔、“祟”という怪獣で子供に襲いかかるので、子供の枕の下にキラキラ光る銅貨を入れておくと“祟”をやっつけることができますので、子供を守るためのやり方ですよ。

 

さわやかでは、ウイルス対策として

ベッドや機械の消毒、

スタッフの手の消毒、

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安心してご来院ください。

 

よろしくお願いいたします。